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広島といえば・・・ [ランチ/カフェなど]

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宿は原爆ドームから徒歩10分くらいの『ホテル法華クラブ広島』ってとこ。
何だかお坊さん専用の宿泊施設のような名前だけれど、大正9年に京都駅前で京都にお寺参りで訪れる方の宿を提供したのが始まりだそうで。
日本最初のビジネスホテルとHPでは書かれている。名前の由来はどうやら創業者が熱心な法華経信者だったからのようです。(^_^ゞ

折角広島に行くのだから、宿は朝食のみのプランにして夕食は広島らしいものをね。10月のかかりだったので牡蠣のシーズンにはまだ早く、お決まりのコレに!

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店は決めてないので歩き回りながら探してみる。「へんくつや」は、初めて広島に来た時に元祖の名前に惹かれて入ったことがある。
『お好み村』はまだ入ったことが無い、ビルの2〜4階に24軒の店があるので、ここで探すことにしました。「八昌」は有名なのかもう売り切れ、以前別な所の八昌には行ったのでもういいけど・・・

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「お好み村」は、戦後まもなく発生した屋台群がルーツで、公園整備などにより立ち退き、移転をして現在の複合ビルに至っている。
市民からは「観光客が行くところ」と言われているようだが、馴染み客も結構いたような・・・もちろんここも外国勢の姿は多かったですけど。

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ただ、何の予備知識も無く入ったので何処がイイものやら・・・結局、決められないまま4階まで行って、行列ができてなくて、かと言ってガラガラじゃない店を探した。で、僕らが入ってちょうど満席の名前が面白かった『かえるっ亭』。(^_^ゞ

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ところで「お好み焼き」って、関西風と広島風がありますよね。
それぞれの地域で「お好み焼き」って呼ぶ。広島で「広島焼」なんて言わない。
関西ではコレは「広島風お好み焼き」って認識。アルミの容器に粉生地と具材が入っていて、それをスプーンでがぁーっと混ぜて自分で焼く・・・というのが「お好み焼き」だと思って育ってますから、コレをお好み焼きと呼ぶのはやはり違和感がある。同じように広島ではこのクレープのように焼いた生地と、別に焼くキャベツや玉子、ソバを重ねるのが「お好み焼き」なんでしょうね。
関西でも最近はお店で焼いて出すところが増えたし、ソバ入りは昔から「モダン焼き」って言ってます。決定的な違いは、混ぜ焼きか重ね焼きってことかな。
どちらも「お好み焼き」って名前で定着したもんだから、どっちが先だとか古くからだとか、お好み焼きを巡って本家、元祖争いのようなナンセンスな論争が起きたりしますね。ピザやクレープ、もんじゃ焼きなんかも似たようなものだけど名前が違うから問題無し。チヂミは「韓国風お好み焼き」なんて言ったりするけど。
いずれにしろ「広島焼」ってのは、広島が焼けてるみたいでイメージが悪いね。
たこ焼きのルーツとされる「明石焼」も地元ではそうは呼ばず「玉子焼」と呼ばれている。地名に「焼き」を付けるのは止めたいね。



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朝食はお決まりのビュッフェ式、これはこれで色々食べられて好きかも。

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さて、お腹をいっぱいにして向かう先は、人と神々が共に生きる島・・・

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日本三景の一つで、世界遺産のある島です。

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2017.10/9、広島にて。
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歴史が見える丘、入舟山公園へ。 [旅河童]

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今回の広島行きは家内の用事でまずは呉に行きました。家内が用事を済ましている間、私は一人で呉を散策することにしました。
まずは「てつのくじら館」を見学した後、日本遺産がある入舟山公園に向かいます。この公園は入舟山記念館、呉市美術館、市民広場、運動グランドなど多目的な市民公園になっています。


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『入舟山記念館』の門には「旧呉鎮守府司令長官官舎」とあります。
平成28年、この呉市を含む旧軍港4市(横須賀市・佐世保市・舞鶴市)が、「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」として日本遺産に認定されました。

門の前には・・・
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[塔時計]旧呉海軍工廠(こうしょう)造機部屋上に設置されていたもので、国産の電動親子式衝動時計として最も古い部類のもので1921(大正10)年製で、1981(昭和56)年に復元し今でも動いています。
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[番兵塔]昼夜を問わず立哨が行なわれていたため、足元の部分が擦り減って跡が残っています。

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[券売所]ボランティアガイド詰所にもなっていました。
この建物のレンガは、初代の呉鎮守府庁舎に使われていたものだそうです。

門を入ると・・・
[1号館・旧火薬庫]切石造りのこの建物は、広島湾要塞の一つである高烏山砲台の火薬庫を移設したもの。
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[郷土館]2階は展示室で入舟山記念館の歴史を展示している。

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[砲身]12センチ高角砲砲身、昭和18年に製造されたもので昭和56年に旧海軍工廠砲火工場跡の地中から発見されたもの。
もう一つ、パロット砲砲身と考えられているものも展示されていた。
[この世界の片隅に]一昨年公開されたアニメ映画、数々の賞を受賞して今もロングラン上映している話題のアニメ。その主人公「すず」を声優として演じた女優「のん」さんのサイン入りポスターが郷土館にありました。ここもロケ地・聖地巡礼ってやつの1つなのかな?(^_^ゞ


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昨年になりますが10月7日、8日は入船山記念館50周年イベント「呉の歴史の森フェスタ」が開催されており、地元の高校生(呉高等専門学校)が出している屋台が並んで賑やかでした。
このイベントを狙った訳じゃなく偶然遭遇したのですが、お蔭で観覧料は無料だし、高校生たちのおもてなしコーヒーも飲み放題♪いろいろな企画も楽しみました。クイズラリーなんてのもあって、全問正解ならプレゼントがもらえる。私は1問だけ間違えていたのですが、採点係の高校生に答えを教えてもらって、すぐさま書き直し「これで全問正解ね」って、景品の絵はがきをちゃっかりもらいましたよ。(^_^ゞ

昭和43年に廃止された呉市電の舗道を移設した石畳の路の先に見えてきたのが「旧呉鎮守府司令長官官舎」(重文)です。

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[洋館部分]英国風半木骨造(ハーフティンバー様式)で、屋根は天然粘板岩(スレート)の魚鱗葺。

この官舎は1905(明治38)年に建築され、第7代〜32代までの約40年間、呉鎮守府司令長官の公邸として使用されました。設計は英国で建築を学んだ櫻井小太郎。
戦後1956(昭和31)年までイギリス連邦占領軍(BCOF)の司令官官舎として利用された際、壁紙の上からペンキを塗って白壁にするなど改装されていましたが、1991(平成3)年から4年かけて大規模補修し、建築当初の姿に戻したものです。

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玄関ドアの上側と左右には英国製のステンドグラスがはめ込まれ、ドアのガラスには桜と錨の図柄がエッチングされているのが印象的です。(トップ画は内側から撮ったもの)

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この洋館部分は執務室や応接間として迎賓館的な役割も果たしていたようで、テーブルには当時の食事も再現されていました。

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壁や天井には全国でも珍しい金唐紙(きんからかみ)が貼られています。
この金唐紙、国内では数例しか確認されてなく、BCOF接収時代に上からペンキを塗られていたのを修復工事の過程で発見され、復元のため新たに製作されたものです。

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家具や調度品も英国でしつらえたものが多く残っているようです。

建物は洋館部分と和館部分が接合された造りになっていて、洋館の裏側に司令長官の家族を含めた日常生活の場としての和館があり、洋館と行き来ができるよう繋がっています。

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和館部分の方は質素ながら部屋数も多く、畳敷きで落ち着いた造りでした。

記念館の奥には歴史民俗資料館があり、訪ねてみましたが写真は撮っていません。
公園内には入舟山記念館に隣接して呉市立美術館があり、前の道は日本の道100選に選ばれている「美術館通り」と呼ばれています。

車道は一方通行、歩道は赤レンガ風のタイル敷。けやきと松の並木が続く。
200mほどだろうか、彫刻が点在していて飽きずにゆるりと散歩ができそうです♪

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[トリオソナタ・ハーブ 工藤健作]3部作でバイオリン、フルートがある。

[美術館玄関]
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[愛に生きる 上田直次作]

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[走る童子 薮内佐斗司作]      [しゃがむ女 柳原義達作]

[切り株に座って 黒川晃彦作]
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[うでをくむ男 関孝行作]
野外彫刻は両側に全部で16、7点あるようです。

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歩道のベンチには、呉の民話「乙女椿」をモチーフにしたと思われるレリーフが。
マンホール蓋も呉らしく戦艦大和がモチーフに。この大和のマンホール蓋、呉市各所で色んなデザインが見られるようです。

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さて、呉駅前で家内と合流して、原爆ドームにほど近い広島の宿に向かいます。
オープンエアのドライブ途中、陽が落ちそうになったので夕陽を見に海岸へ寄り道。ちょっと間に合わなかった。(^_^ゞ

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2017.10/8、広島にて。
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てつのくじらの腹の中は? [旅河童]

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去年の秋ですが、またまた広島の呉に行きました。
大和ミュージアムには以前行ったのですが、その向かいにある
海上自衛隊呉資料館『てつのくじら館』にはまだ行けてなかったので
今回は真っ先に訪ねました。
なにせ本物の潜水艦がどかんと置いてあるから気になってね。(^_^ゞ

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入館料は無料♪ 気になる潜水艦の中も見学できます。
ボランティアガイドさんに質問などもでき、館内はバリアフリー。
でも潜水艦の中はベビーカー、車椅子は入れません。撮影も禁止でした。
ブログなどで潜水艦の中も写真で紹介されている方も多々おられるのですが、
何か方法があったのかな?

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潜水艦「あきしお」2,250トン・ゆうしお型潜水艦の7番艦。
ディーゼル2基、モーター1基。速力20ノット(水中)
長さ76.2m・幅9.9m・深さ10.2m、乗員75名。
1985年進水、2004年除籍。2006年にここの屋外展示物として搬入。
実物の潜水艦の展示・見学ができるのは日本ではここだけだそうで、
リアリティあります。想像通り狭い。でも映画などで見るUボートや
伊号なんかよりは快適そうでした。(^_^ゞ


館内は3階までいろんな展示物や映像、写真パネルが見られます。

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[フロート]
一瞬魚雷かと思いましたが、掃海時音響掃海具を吊るすためのウキです。
あくまで平和利用のアピール?

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潜水艦での生活は決して楽そうでは無いですねぃ。
戦後、海自潜水艦の原点は戦中には敵船として存在していた米潜水艦「ミンゴ」。
1955年に海自にやって来て「くろしお」と名前を変え、現在の日本の潜水艦のルーツとなる。すでに艦齢12年を過ぎていたが、海自に来てから15年間潜水艦隊の発展に寄与した。

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海上自衛隊の資料館だから当然、その自衛隊の活躍ぶりの展示が所狭しと・・・
特に機雷除去の掃海に関するものが多いかな、国際貢献とかなんとか。


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潜望鏡はやはり人気の的。ちゃんと外の海が見えるように固定されている。
映画などの影響からか、潜望鏡を覗くのってワクワクする。本物だから特にね♪

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13m潜望鏡1型改2、何に装備されていたものかな。ちなみにレンズはNikon製。

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こちらには2台の双眼鏡が展示されており、覗くことができる。
どちらも先の大戦で潜水艦に搭載されていたもの。左は米潜水艦「ミンゴ」(=くろしお)のもので、アメリカ製。倍率8倍。
右は日本海軍 伊400型潜水艦用のもので、倍率22倍のNikon製。
覗き比べると明らかに日本製の優秀さを誇示した展示のようかな?(^_^ゞ
戦時中は「海のニッコー、陸のトーコー」と言われていたそうです。
海軍は三菱の資本により創設された日本光学(ニッコー=現ニコン)を使い、
陸軍向けは東京光学(トーコー=現トプコン)に決めていたようです。

ご存じだろうか、海上自衛隊の潜水艦、もともと16隻と定められていましたが、2010年にこれを22隻に増強することが政府によって決定されました。
潜水艦を建造しているのは三菱重工と川崎重工の2社のみ。いずれの造船所も神戸にあり、1年に1隻のペースで交互に随意契約されています。
定数を守るため今まで艦齢16年で退役するようになっていたのですが、これって世界でも異例なほど短命で、まだまだ現役で使える状態だそうです。今後は定数を22年にすることで、艦齢22年に延ばすことになるとか。
・・・それって、毎年造らなきゃ済むことじゃないの?って思ってしまうけど。
だいたい潜水艦ってそんなに要るのかなとも・・・


いずれにしろ、艦の見つめる先は平和で安全な海であって欲しいと願います。
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2017.10/8、海上自衛隊呉資料館「てつのくじら館」にて。
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