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いよっ!松山城へ。 [城郭]

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四国旅行、最初の目的地は愛媛県の伊予松山城でした。
松山城と言えばここなのですが、他にも全国各地に幾つかありますね、
近くなら岡山県の備中松山城。大河ドラマ・黒田官兵衛で有名に。

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伊予の松山城は別名、金亀城(きんきじょう)。
勝山(標高132m)山頂にあるので勝山城とも呼ばれます。
大天守は日本で12カ所しか残っていない『現存12天守』のひとつ。
現存建築は21棟にまで減少したものの、建造物の現存数は京都の二条城の
28棟に次ぐもので、すべて重要文化財に指定されています。

松山市内のど真ん中にあるのかな、と言うか松山市はこの城を中心に
発展したのでしょうね。平山城なので市内一円からお城が見えます。

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〈松山城ロープウェイのりば〉

連休のせいか、結構混雑してました。
お城のキャラクター「よしあきくん」がお出迎え。(^_^ゞ

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築城主が加藤嘉明なんですね。
豊臣秀吉の子飼衆で、賤ヶ岳の七本槍・七将の1人だったのですが
関ヶ原の戦いでは徳川方・東軍として手柄を立て、この地に城を
築くことになります。「松山」と名付けたのも嘉明ですが、
城の完成前に会津藩へ転封となり入城はしていないはずです。


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ロープウェイ往復券:510円でリフトも選べます。
ロープウェイなら約3分、リフトは約6分です。ロープウェイに
乗りましたが、すし詰め状態。帰りはリフトにしようかな・・・

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ワンちゃんも空中散歩♪
降りれば天守閣まで徒歩約10分です。
ちなみに徒歩での登城ルートは4本あり、20~30分ほどのようです。

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大手門跡よりの眺め。遠くに見えているのが松山城天守。


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石垣も綺麗、天守に辿り着くまでも見どころが多いので飽きません。
こんなんともすれ違うし・・・

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外人観光客も大喜び?(^_^ゞ
赤い甲冑姿は女武将でしたよ♪


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画像の解説無しの手抜き・・・
天守に行くまでも、眺望の良いとこが多々。海も見えます♪

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いよいよ、伊予 松山城の天守に近づいて来ました。(^_^ゞ

山頂の本丸北部には本壇という天守曲輪を持ち、大天守と小天守・
南隅櫓・北隅櫓を3棟の渡櫓で連結した連立式天守をなしています。
これは姫路城、和歌山城と並ぶ日本三大連立式平山城だそうです。

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むむむ、連休だからかな・・・

天守観覧券は510円、ロープウェイのりばで観覧券+往復券の総合券も
買えるはずが「本日は観覧者多数のため、開城時間内に観覧できるか
分からないため、総合券は販売しておりません。天守にてご判断下さい」
なんてアナウンスがありましたが、観覧券を買ったので並ぶしかない。
そう言えば、姫路城に行った時も松本城の時も2時間待ちの行列で
諦めてしまいましたが、今回はそれほどでも無さそうなので・・・

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よしよし、入城。下を見ればまだ並んでる・・・

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天守閣の中はいろんな歴史資料が展示してあり、興味深いです。

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城の構造もなかなか面白い。解説無しの手抜きです。

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これはこの隙間から石垣を登ってくる敵に熱湯を掛けたり岩を落としたり
時には糞尿を?なんて仕組みなのかな。
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鎧兜の試着コーナーもありました。外人さんが意外とお似合い
ラストサムライのトムクルーズみたい?(^_^ゞ

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天守閣最上階からの眺望は、まさに絶景♪
松山市って案外、都会なのね。

さてさて、帰りましょう。足元に気をつけて・・・

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そうそう、松山城の紋章は徳川家の「三つ葉葵」になっています。
築城に着手したのは、加藤嘉明公ですが完成直前に会津藩へ転封となり、
次に藩主となった蒲生忠知公が二之丸などを完成させましたが、
7年目の参勤交代の途中で病死。跡継ぎがいなかったため蒲生家は断絶。
後に松平定行公が藩主となり、明治維新までの235年間に渡り、松山は
四国の親藩としての役目も担いました。
この間、天守は1642年に五重から三重に改修され、更に1784年の落雷で
焼失した後、1854年に再建されました。これが今の大天守であり、
わが国最後の完全な城郭建築である天守は、黒船来航の翌年に落成した
ことになります。

明治以後、廃藩置県では松山県だったそうです。愛媛県になったのは
1873(明治6)年からのようです。同時に松山藩の松平家は旧姓である
久松を名乗ることとなり、廃城例により松山城は松山市に寄贈される
ことになりました。(大正12年)

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記念写真も忘れずに。
あれあれ、スタンプも・・・って、スタンプ帳忘れたので

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貼っておきました。〈日本100名城スタンプ帳〉

ちなみに世界最大級の旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」の
「行ってよかった! 日本の城ランキング」で去年、松山城は熊本城に
次いで2位にでしたが、2015年はどうやら松本城、姫路城に抜かれて
4位に後退したようです。(一昨年は6位)
熊本城は3年連続1位、くまもんも歓んでるやろな・・・


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5時が過ぎていました。ロープウェイの営業時間は5:30。

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わんさか押し寄せてる、間に合うのかッ?
リフトはロープウェイより30分前に終了なので、すでに乗れず・・・
ま、何とかロープウェイには乗れましたが。


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2015.9/21、松山城にて。
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城 at 伊丹 [城郭]

伊丹に行って、まず有岡城の城跡を見てきました。

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有岡城(伊丹城)跡は、昭和54(1979)年に国の史跡に指定されています。

猪名川の西岸、伊丹段丘東縁部の一角に位置し、南北朝から戦国時代にかけて
伊丹氏が城を築いていたところです。
天正2(1574)年、織田信長の家臣・荒木村重がこの城を攻め落とし、城主と
なります。そして大改修を行い、城の名も有岡城と改めます。
発掘調査により天守台をもち、侍町と町屋地区をも堀と土塁で囲んだ
惣構(そうがまえ)の遺構が出土、日本最古のものと考えられています。

近くのショッピングセンターにクルマを停めて歩き出すと、それらしいものが

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平城なので、お城に登るって感覚はありません。今は有岡城跡史跡公園として
整備されているので、なおさら・・・

しかもJR伊丹駅の真ん前。屋外エスカレーターまであります。

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「古城橋」が架っています。と言っても駅へ通じる陸橋でした。
駅が近くて便利なお城?実はこの駅、遺構の上に建ってしまってます。

私、わざわざ此処へ寄ったのは「あっ!官兵衛」シリーズ?のため。
大河ドラマでも長々と描かれていた場所です。

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官兵衛ゆかりの藤まであります♪

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放送を機に植えたってか・・・(^_^ゞ

で、城跡はこんな感じ! 言われてみないと、ただの広場?

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よくよく見ると、当時のまま?の井戸跡や土塁、石垣が見られます。

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石垣には、荒木村重が改修工事を急いだのであろう五輪塔の基壇や宝篋印塔
などが自然石に混じって積み込まれている。

荒木村重はこの地を5年間ほど統治、城主として働いたようだが
突然、信長に反旗をひるがえしこの城にたて籠って毛利の援軍を待ちます。
官兵衛の元主君でもある小寺政職(こでらまさもと)もこれを機に織田から
毛利に寝返ります。そのことで説得に来た官兵衛に村重を説得するよう命じ、
有岡城に向かわしますが、あろうことか村重には官兵衛を殺すよう頼むのです。
しかし、村重は官兵衛を殺せず幽閉。自らは籠城中の城から単身抜け出します。
やがて織田軍により落城、信長の荒木一族根絶やしの命により残された者は
非道なまでの処刑をされます。逃げ延びた荒木村重は、信長の死後も大坂で
茶人として復帰し、千利休らと親交をもったとされています。

ちなみに官兵衛を亡き者にしようとした小寺政職ですが、御着城落城後も
毛利領へ落ち延びます。残された小寺家の嫡男・氏職は官兵衛の計らいで
黒田氏に仕え、子孫は福岡藩士として代々続くことになります。
なお、小寺家も官兵衛の嫡男・長政によって復興されます。
酷い目に遭わされながら偉いやっちゃな・・・ま、ドラマの主人公って
こうでなくっちゃね。(^_^ゞ


あ、クルマを停めたところ「ARIO アリオ」って言うのか・・・なるほど。

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有岡城は落城後、信長の家臣の子、池田之助(ゆきすけ)が入城しますが、
それも3年程で、廃城となり放置されるがまま江戸時代には地元の人々から
「古城山」と呼ばれるまでになります。やがて明治になり鉄道建設のため
主郭部の東半分が失われることに。近年の発掘調査で予想以上の貴重さが
明らかになったようです。が・・・

現地は、まさに 夏草や兵どもが夢の跡 状態でした。

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2014.6/1、有岡城跡にて。
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静かな湖畔の・・・長浜城。 [城郭]

秀吉が初めて築いた居城、長浜城は琵琶湖の北西部にあります。

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信長に仕えて約20年、浅井長政攻め(姉川合戦など)の功で織田信長から
湖北三郡を拝領した秀吉、当時今浜(いまはま)と呼ばれていたこの地を
信長の名から一字もらって長浜に改名。
自らもこの頃から信長の有力家臣だった丹羽長秀と柴田勝家から一字ずつを
もらい受け、木下から羽柴姓に改め羽柴秀吉と名乗るようになっています。
何かこう、節操がないと言うか、おべっかが上手いというか・・・(^_^ゞ

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城は浅井氏の居城であった小谷城の資材や浅井氏が竹生島に隠し置いていた
木材などを見つけ出して築城したとか。城下町も小谷城下をそのまま移転。
琵琶湖を最大限に活用した城だったようです。石垣は湖水に浸り、城内の
水門から直で船の出入りができるようになっていたり。

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長浜城再現図(現地説明板に加筆・転載)

城下町も信長に見習い楽市楽座を置くなど、商業都市として栄えたようです。

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井戸の跡が残されていますが、水はたっぷりあったろうに・・・

このタイミングで長浜城を訪ねてみたのはこれが目的でした。
官兵衛の子・黒田長政が人質として預けられたと伝わる城ですからね。

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現在は、豊(ほう)公園として整備され、建物は鉄筋コンクリート造りの
復興天守です。
長浜城は1573年に築城され1615年廃城になるわずか40年程。
その間、本能寺の変後の清洲会議で長浜の支配権を獲得した柴田勝家の甥の
柴田勝豊が入城するも、まもなく勝家と対立した秀吉に攻められ落城。
その後、山内一豊が6年間在城します。徳川の世になり内藤信成・信正が
最後の城主ということになります。
ただ、建物や石垣の大半は彦根城の築城に際して移され、重要文化財指定の
天秤櫓(てんびんやぐら)や隅櫓は長浜城の遺構といわれています。また、
長浜市内の大通寺台所門、知善院表門もこの城の遺構として名高い。


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市民の熱い要望で昭和58年(1983)に城郭様式の博物館として再興され、
『長浜城歴史博物館』になりました。
なお、黒田官兵衛博覧会は7月18日までの予定。

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天守、展望台からの眺め。案内板には戦国時代をしのぶ拠点の位置が
示されていました。

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築城に際して人柱となった「おかね」さんの話が伝えられています。
若くして聡明、長浜一の美女と評判の「おかね」さんが選ばれ、けなげにも
湖北地域一円の繁栄を願い、自らの命を捧げたというものです。

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〈本丸橋〉

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テレビでよく見かける犬かな・・・?

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河童だから甲羅干し?・・・仰向けやん!熱中症には気をつけましょう。


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2014.5/18、長浜城にて。

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天空の城「竹田城跡」晴天なり。 [城郭]

ここは僕的に行ってみたい場所の最有力でした。で、期待通り!

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兵庫県朝来市(あさごし)にある『竹田城跡』は全国一の山城遺跡といわれています。
標高353.7mの山頂に位置し、城の築かれている山全体が、虎が臥せているように
見えることから別名:虎臥城(とらふすじょう・こがじょう)、TigerCastle です。

気象条件が合えばでしょうが、早朝には朝霧が発生し雲海に包まれた城の姿が見られ
その幻想的な光景は、天空に浮ぶ城。日本のマチュピチュなどと呼ばれています。
国指定史跡であり、日本100名城のひとつにもなっている。こりゃもう行くしかない!
7駆さんも2年程前、ご家族で2度目の登城を果たされていることだし・・・

人気スポットであることはネットでも確認していたのですが、
一説では駐車場まで1時間待ちだったとか・・・

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土曜日の午前10時過ぎ、すでに駐車場が満車のため待ち車列。止まってますw

城へ通じる道は順路が決められており、1400m手前で駐車場と連絡をとりながら
通行規制されてます。道も狭くて、バスは通行不可。普通車でも離合できません。
そのため、一方通行。登りと降りとではコースも違います。
そんなこと知らんので、降りてくるクルマ全然無いやんと思いながら待つこと20分。

70台収容の中腹駐車場に到着。確かに満車、でも駐車場も入場料も無料です♪

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ここまでクルマで登ってきたから、すぐにお城・・・ってな甘い所ではありません。
ここから徒歩で700m、約15分。この先、トイレは無いとのことで済ませましょう。
大手門までは舗装路ですが、これまた結構息切れもんの坂道。
当然、私らは常設の杖のお世話になります。それでも楽な方の亀さんコース。
以前は急坂登りのウサギさんコースがあったようですが、今は降り専用で登りは
禁止されています。危険だったからでしょうか、ビーチサンダルの息子さんを
連れて登った人もいるのに・・・(^_^ゞ

お城の説明は wiki で。楽させてもらいます(^_^ゞ

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ここからはいよいよオフロード。

徐々に空が近くなってきます。

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まだまだ序の口ながら、絶景です。

JR竹田駅から登山道(急斜)で歩いてこられる方も多いようです。

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ちょっと団体さんに紛れて、ガイドさんの説明を盗み聞き・・・(^_^ゞ


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ちょっと普段の行いが良過ぎたせいか、お天気はピーカン!
気温もこの日は真夏日、歩いていると暑いけれど風が吹いていて心地良かった♪

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おや、あんなところにベンチが。

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此処は映画のロケ地としてもよく使われているようです。
その中で高倉健主演の『あなたへ』の撮影時、撮影現場では決して座らない
という伝説をもつ健さんが、このベンチには座って静かに眺望を・・・だとか。
(さっきのガイドさんが言ってたよ)

ん~、確かに日本一贅沢な席かも・・・

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おッ!伝説の男か!銅像でもできるかな? ・・・家内が撮影しました。(^_^ゞ

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おふざけはさて置き、此処での気分昂揚感は感動的。来て良かったと思えます。


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最も高い天守跡、以前はハシゴが掛かっていただけのようですが、
立派な階段が付けられていました。ハシゴも残しておいて欲しかったな・・・

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ここが古城山(虎臥山)の山頂になっているようです。


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日本のマチュピチュ? 本物のマチュピチュは行ったこと無いですが。(^_^ゞ


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朝から歩き回ってます、そろそろ・・・

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絶景を眺めながら食べる、この上ない贅沢なランチ。最高でした♪
・・・麓のコンビニで調達したものですが。


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飛行機雲も心なしか低く見えます。自然石を巧みに積み上げた
穴太積み(あのうづみ)も見事です。

石垣だけが残された城郭址ではあるけれど、400年を経た今でも当時の威容を
感じ取れる素晴らしい遺跡でした。


余談、日本100名城のスタンプは「山城の郷」もしくわ「JR竹田駅」にて押せます。
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2013.5/25、但馬・竹田城跡にて。

カッパのロードスター


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at 郡山城跡 [城郭]

通り掛かりに気になったので寄ってみました。

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ぶらり奈良へ出掛けたのは銀竜草を見に行ったのですが、往馬大社で見られなかったら
大神神社(おおみわじんじゃ)へも行くつもりでした。ここでも銀竜草やササユリが
見られるってことでしたので。一応向かったもののすでに銀竜草も見れたことだし
時間的にもキツくなっていたので、途中の大和郡山探索とあいなりました。(^_^ゞ

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かつては大和国の中心都市であり、郡山藩、郡山城の城下町として繁栄していたが
明治の廃藩置県により奈良県となり県庁所在地は奈良市に移り衰退。
今は金魚の町として有名です。市のキャッチフレーズも「金魚が泳ぐ城下町」♪


ここでは、どうしても、どうしても!欲しいものがありました。
お店の住所・電話を控えて行ったのですが、なかなか辿り着けず探し回るハメに。

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日本中探しても此処でしか買えない『きんとっと焼』!やっと見つけました!!
某ブログのたい焼きフリーク氏の鼻を明かすにはコレしかない!と、以前から
画策しておりました。氏はアンコウならぬ「餡香やき」なるものも食されております。

この「きんとっと焼」、大和郡山市商工会女性部が名物にしようと平成14年に
デビューさせた特製品。年に数回、市のイベントの時にのみ実演販売されていた
ものですが、平成20年に常設店「味 たこ惣」に依頼譲渡(?)。
いつでも購入できるようになったのですが、
ここの店主・おっちゃん、病院通いのため不定休なんてのがあるんですね・・・

長年の夢、折角辿り着いたのに不安が的中。お休みでした。(・_・、)ザンネンムネン
この日はどうも食べ物系にはツイてなかったようで・・・


失望落胆の心癒されぬまま、「郡山城ホール」の駐車場にクルマを停めて
向いの郡山城跡を見物に行きました♪

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郡山城ホール


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近鉄のレールの向こうに城跡が見えます。


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内堀は残っています。


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大手門(梅林門)〈復元〉

築城は1162年、郡山衆及び筒井氏によるものですが後に、豊臣秀吉の実弟羽柴秀長が
100万石の居城として拡張、改築したもののようです。

ところで「郡山城」とした同名の城は幾つかあるようですね、例えば
陸奥国(宮城県・仙台市)の郡山遺跡、陸奥国(岩手県)には別称高水寺城と
呼ばれる郡山城が、陸奥国安積郡(福島県)、摂津国(大阪府)、石見国(島根県)
にも城跡があり、安芸国(広島県)にも吉田郡山城と言うのがあります。

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洋風の図書館跡?


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江戸時代、1724年からは柳澤氏が入城し大和地方の経済・文化を養いました。
もともと甲府城主であった柳澤吉利が幕府の命を請け転封されたもので、
この時、郡山に養蚕を持ち込み奨励し、経済を振興。また、趣味で飼っていた
金魚も運んだことから、金魚養殖が始められるようになったと言われています。

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柳澤邸として使われていた庭園や建物が、歴史的資料や地域資料を扱う図書館として
保存会が運営しているようです。


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城跡内には柳澤神社もあります。


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天守台跡として残されている石垣には、平城京羅城門の礎石や石地蔵、五輪塔などが
積み込まれています。その中で仏身90センチという地蔵立像が逆さに積まれている
と言うのですが・・・確認できませんでした。(^_^ゞ


モノクロ写真も少しだけ・・・

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城跡に夕陽は似合うかな・・・

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2013.5/3、郡山城にて。

カッパのロードスター


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