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白川でグッモーニン♪ [ランチ/カフェなど]

先日、白川通り今出川をちょいっと上った『ワールドコーヒー白川本店』へ。
朝と言うより昼前でしたが・・・目的は、ここのモーニングセット。(^_^ゞ

京都の朝はイノダコーヒから・・・なんて合言葉がありますが。
このワールドコーヒーも小川珈琲などと並んで京都生れの珈琲会社。
京都ではお馴染のブランドです。ここが経営している
コロラドコーヒーって喫茶チェーン店も昔からよく見かけます。
・・・ま、京都限定な話ですけどね。
で、ここがそのワールドコーヒーの総本山。この地から出発して
半世紀が過ぎたとのこと。


社歴なんてどうでもいいんですけどね、ここのモーニングセットが
イイよって、小耳に挟んだもので・・・
満席のテーブル、右を見ても左を見ても、みぃ〜んな同じモノを注文?
そう、どのテーブルもモーニングセットでした。(^_^ゞ


トースト+スクランブルエッグ+ベーコン+ソーセージ+サラダ
+コーヒー(紅茶他もあり)で、650円。ボリュームたっぷり♪
お洒落なテーブルウェアなんですが、見方によってはどんぶり鉢。(^_^ゞ


2012.4/29、ワールドコーヒー白川本店にて。
カッパのロードスター
寄り道、神社2。 [うろうろ探訪]

三井寺、拝観順路通り行くと観音堂のあとにもまだ一つ二つ別所と言われる
お寺を廻ることになるのですが、順路を外れたところに境内が広大なせいか、
もう一つ出入り口が設けられているのを発見。
そちらから出てしまうことにしました。決して迷った訳では無いですよ(^_^ゞ
分岐点まで戻るには今降りてきた長い石段をまた登らないと・・・それが嫌で。
ここを出ると直ぐに『長等(ながら)神社』があります。
天智天皇が大津京へ遷都された際に都の鎮護のため、長等山岩倉に須佐之男神を
お祀りされたのが起源。その後、智証大師円珍が日吉大社を合祀し、
貞観2年(860)に園城寺(三井寺)の鎮守とされたとのことです。

楼門を入ったところに枝垂れ桜がまだ咲いていました。(4月28日)
今はすっかり桜の花を見ることは無いですが、わずか半月ほど前には
まだ見ることができた・・・サクラって人騒がせでせっかちですね。
ここの神紋はサクラらしい、それでかどうか知らないが
サクラの枝を神前に供え、疫病神や悪霊を鎮める
「花鎮祭(はなしずめのまつり)」が
今年4月15日に、ここで90年ぶりに復活したそうだ。


境内には樹齢300年といわれるカツラの木があり、御神木とされています。
こちらは末社になるのかな、馬神神社というのがありました。

もとは京都の札の辻の人馬会所敷地内にあったもので、明治43年(1910)に
現在地(長等神社境内)に移されたとのこと。やはり神紋はサクラ♪
あれ? 三井寺で遇った外人さん。親子かなぁ。それにしても真夏の格好!
実は、ここで電池切れ・・・予備を入れるも、充電できてなかったようで。
家に帰ってからはデータを誤削除してしまうし、この日は踏んだり蹴ったり。
ここの門前でちょっと気になる店が・・・

『そば処 ふじの木茶屋』、ちょっと入るのに勇気が要りそうです(笑)
察するところ年寄り夫婦できりもりされている感じ?
何となく力が抜けたところに魅力を感じます。意外と美味しいものを
出してくれそうな・・・藤棚に花が咲く頃に来てみようかな。
もう1軒は『大津絵民芸房』大津絵を売っているのかな?
ここも寄ってみるには少し勇気が。この日はどうも消極的な気分で・・・
こう言うのって、あとから悔いが残るんですよね。

ふじの木茶屋の庭(原っぱ?)に咲いていた蒲公英とアジュガ。
カメラのバッテリー、2個を交互に入れたり出したり騙し騙し使っていました。

これは琵琶湖疏水、取水口にあたるところです。ここから三井寺の地下を
通って、京都へと琵琶湖の水が流れて来ます。京都市民の命の源?
ところが去年、土地の権利をめぐり、三井寺が京都市を提訴したとか・・・
この先、大津港三保が崎には「琵琶湖周航の歌」で名高い旧制三高(京大)の
ボートクラブハウスがあって、歌碑も置かれているようです。
琵琶湖疏水に関しては、いずれじっくり探索したいテーマでもあります。
もうひとつ見つけた三井寺に接する神社は、ちょっとユニーク。
『三尾(みお)神社』。ウサギだらけの神社です。


ここの神紋は「真向きのうさぎ」。通りすがりの(関係者かな?)おじさんが
熱心に説明してくれて・・・この神社にはウサギの姿をしたものが60あるって
言われてたかな、探し出してごらんと言われたものの・・・w




うぅ~、確かにアチコチにいっぱいありそうだけど・・・(^_^ゞ
ま、干支絡みのスポットとしては、かなり徹底していますね。

もうバッテリーも完璧にダウン。この神社の写真は予備で持ち歩いている
カシオのコンデジでの撮影でしたッ。
さて、三井寺の駐車場に戻りましたが、何かやり残した気が・・・
そう、茶屋に入ってない。(^_^ゞ

駐車場の土産物センターみたいな建物の中にある「レストラン風月」に入り
ソフトが無かったのでクリームコーヒーで喉を潤し、美味しいと評判の
大津銘菓「三井寺力餅」をいただきました。
2012.4/28、長等神社にて。
カッパのロードスター
第十四番札所 三井寺 [西国三十三所巡礼]

西国三十三所観音霊場巡り、第十四番札所は滋賀県大津市にある
『三井寺(みいでら)』
正式には「長等山 園城寺(ながらさん おんじょうじ)」といい、
天台寺門宗の総本山です。
西国三十三所の第二番札所に和歌山の紀三井寺がありましたが、
あちらは救世観音宗の総本山で、寺名の由来は清浄水、吉祥水、楊柳水と
呼ばれる三つの湧水があったことからきています。
三井寺の方は、天智・天武・持統の三帝の産湯に用いられた霊泉
「御井(みい)」に由来するというものでした。
かなり広いお寺で、境内を回るのもハイキングなみ・・・ほぼ順路通り回りました。
駐車場から>仁王門>釈迦堂>鐘楼(三井の晩鐘)>金堂>閼伽井屋>
霊鐘堂(弁慶の引摺り鐘)>一切経蔵>唐院(三重塔・潅頂堂・長日護摩堂・大師堂)
>村雲橋>勧学院・・・ここまでは前記しましたが、
西国十四番札所、納経所にまだ辿り着きません。
どうやら観音堂まで行かないと御朱印はもらえないようです。
観音堂まで行く拝観順路には・・・

「微妙寺」(左)、「天台智者大師」像(右)
微妙寺(びみょうじ)は園城寺五別所のひとつで、湖国十一面観音霊場の
第一番札所。ご本尊は平安初期の十一面観音(重文)が安置されています。
ちなみに写真に写っているお二人は微妙な関係では無いと思われます。アシカラズ
天台智者大師とは、天台寺門宗の宗祖であり園城寺の初代長吏(管長・別当)
である円珍和尚のことです。落語家みたいな名前ですが、偉い人です。(^_^ゞ
弘法大師空海の姪の子として生れ、14歳で比叡山延暦寺に入山。
19歳から12年間籠山修行されます。唐にも渡り、入唐八家(最澄・空海・
常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人に数えられています。
第五世天台座主(てんだいざす)も務め、没後智証大師の諡号が与えらえました。
園城寺の秘仏・金色不動明王(黄不動尊)画像〔国宝〕は、籠山修行中
感得した金色不動明王の姿を描いたものとされています。
「衆宝観音」
この観音を信仰すれば財宝が貯まり、福徳を授けられ出世が叶うと書かれて
います。そんなありがた~い観音様なのに素通りする方がほとんど。

「南無童地蔵菩薩」、「童観音菩薩」像
こちらは結構、みんな見て行くのにね・・・

「毘沙門堂」(左)、「十八明神」(右)
十八明神は「ねずみの宮」と呼ばれています。その所以は→〔伝説〕
やっと観音堂への入口です・・・

石段は、珍しく急勾配ではありませんが、それまで随分歩いているので・・・

「鐘楼」
石段を登りつめた右手に鐘楼があり、童子鐘と呼ばれています。
かつては、「童子因縁之鐘」と呼ばれる鐘が釣られていました。→〔伝説〕

「百体堂」(左)、「観月舞台」(右)。
百体堂には、西国三十三所、秩父三十四ヶ所、坂東三十三ヶ所、合わせて
百体の観音さんがお祀りしてあります。

観月舞台、古来より観月の名所として知られてきた三井寺にふさわしい
優美な建物ですが・・・立入り禁止でしたw
やっとこさ、札所になっている「観音堂」です。

ご本尊は如意輪観世音菩薩。平安時代の作とされ、三十三年毎に開扉される
秘仏です。前回のご開帳は花山法皇一千年御忌を記念して2年前倒しの
平成22年、と言うことは今度は平成55年・・・平成じゃないだろうな。
2043年ってことに・・・私、生きて居ればちょうど90歳。

ここの「賓頭盧尊者」様。

なんじゃ?このタコ・・・(^_^ゞ

「手水舎」(左)、「絵馬堂」(右)。
手水舎の奥、観音堂の左には「世継地蔵堂」がありました。
絵馬堂は、参拝者の休憩所になっています。横には茶店も。

観音堂周辺だけでもざっとこんな感じ、百体堂・鐘楼・観月舞台、
絵馬堂、世継地蔵堂、手水舎が配置されています。
ここから一段登った所に展望台があるので行ってみます。

日本美術を広く世界に紹介したアメリカ人のフェロノサは琵琶湖の景観を
こよなく愛したとか、この三井寺で仏教に帰依、受戒されました。
のちにロンドンで亡くなりましたが遺言で遺骨は三井寺の境内に葬られ、
いまも静かに琵琶湖を眺めながら眠っているそうです。

展望台の特等席は、おばちゃんグループの井戸端会議の場に・・・w
突然現れた外人さんは、フェロノサのご親戚?ソンナワケナイネ (^_^ゞ

景色は良いのですが、琵琶湖競艇が真下に・・・うるさかったことッ!
「毘沙門堂」
こちらにも毘沙門堂がありました。ここらで順路を外れてしまい
別の出入口から出てしまいました。だから「水観寺」は見れてません。

2012.4/28、三井寺観音堂にて。
○宗派:天台寺門宗(総本山) ○開基:大友与多王
○御本尊:如意輪観世音菩薩 ○創建:朱鳥元(686)年
御詠歌「いで入るや 波間の月を 三井寺の 鐘のひびきに あくる湖」
カッパのロードスター
新緑の三井寺。 [うろうろ探訪]
ゴールデンウィーク初日の4月28日、西国三十三所巡礼で
滋賀県の『長等山 園城寺(ながらさん おんじょうじ)』
通称、三井寺(みいでら)に行きました。
天台寺門宗の総本山で、古くから日本四箇大寺*の一つに数えられています。
相当な大寺院、日本史における影響力を考えてもなかなか手強いお寺です。
*日本四箇大寺=東大寺・延暦寺・興福寺・園城寺(三井寺)
三井寺には、国宝10件(64点)・重要文化財42件(720点)の国指定文化財が
その数は実に多く、全国でも屈指のものです。

「大門(仁王門)」〔重文〕
白く塗られていたのかな、かなり老朽化しているようにも見えました。
さて、気合い込んで何枚もシャッターを切りまくったのですが・・・
最初の部分の撮影データを誤って削除してしまい、跡形もありませんw
デジタルの悲しいところですね、消すのは一瞬ですが、
消してしまうと何も残りません。
仁王門を抜けると直ぐに釈迦堂〔重文〕が右手にあり、隣接して弁財天社も。
参道を真っすぐ行くと階段の先に金堂(本堂)が現れます。
手水舎もありました、金堂を撮る前に、ここの見どころでもある鐘楼〔重文〕を。
三井(みい)の晩鐘といわれ、日本三名鐘のひとつと言われています。
「姿(形)の平等院」「音の三井寺(園城寺)」「勢の東大寺」「銘の神護寺」
・・・あれ?四つやん!イイカゲンナ。東大寺と神護寺が替わることがあります。
いっぱい写真に収めました。潜り戸を開けて中まで入って撮りました。
鐘を撞くのは一人一回300円也、鐘の音聞くのも金次第ってことやね・・・
国宝の金堂、現在の建物は豊臣秀吉の北政所によって慶長4年(1599)に
再建された物で桃山時代を代表する名建築とされています。
正面から見ると石灯籠が3基(堂前灯籠)立っています。
屋根は桧皮葺きで、見るからに風格があり優美でもある重厚な建物です。
拝観もでき、内陣は一段低い土間で、天台密教寺院の特徴を表している。
本尊の弥勒仏は天智天皇が信仰されていた霊像で、秘仏とされており、
見ることはできません。
・・・と、ここまでの写真が欠落しました。
この金堂の横には、閼伽井(あかい)屋〔重文〕があり、

おっと、金堂が写ってます。一部、それも裏側ですが…その奥が閼伽井屋です。

左が金堂(本堂)、右が閼伽井屋。
閼伽井とは閼伽(閼伽水)を汲む井戸のことです。ここで汲まれた水は
お供え用の水として使われます。閼伽の語源はサンスクリット語アルギャ。
英語のアクアもこれを語源としているとか・・・


格子越しに中が覗けます。ゴボッゴボッって水が沸く音や、蛙の鳴き声も
聞こえますが、どうやら録音テープを流しているようです。
この霊泉には九頭竜神が棲んでいたとか。堂の正面上方には左甚五郎の作と
伝えられている龍の彫刻があるですが、この龍、夜な夜な琵琶湖に出て
暴れるので目玉に五寸釘が打たれているとのこと。
釘は確認できませんでしたが・・・
なお、この井戸水は天智、天武、持統の三天皇の産湯に使われたと伝えられ
御井(みい)の寺と呼ばれたのが、今の三井寺の名の由来です。

「熊野権現社」

「教待堂」

「霊鐘堂」
さてさて、ここには「弁慶の引摺り鐘」〔重文〕なるものが置かれています。

この梵鐘、奈良時代のもので俵藤太秀郷が三上山の百足退治のお礼に
竜宮から持ち帰ったと伝えられているもので(ま、伝説やから)
何故にこれが「弁慶の引摺り鐘」かと言うと、当時比叡山延暦寺の僧であった
武蔵坊弁慶、園城寺を襲いこの鐘を奪い、比叡山に引摺り上げ撞いてみたところ
”イノー・イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので、弁慶は「そんなに
三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったといいます。
鐘の傷跡はその時のものと言われていますが・・・ま、伝説ってことで。
ただしその当時、比叡山延暦寺との対立抗争が激化し、比叡山の僧兵によって
幾度となくこの三井寺が焼き討ちされたことは史実のようです。

何故か「弁慶の汁鍋」ってのが置かれています。グッズもね・・・(^_^ゞ

「一切経蔵」〔重文〕
写真は堂内にある高麗版一切経を納める回転式の八角輪蔵。

なかなか面白い建物です。この建物は国清寺の経蔵で、慶長七年(1602)に
毛利輝元によって移築されたものだそうです。

お寺などを撮っていると、たまにこんな写り込みのある写真が
突然撮れたりします。訳が分からない不思議な現象・・・大丈夫やろか?

「園城寺唐院四脚門」〔重文〕
ここから唐院と呼ばれるエリアに入って行きます。

「三重塔」〔重文〕
元は大和の比蘇寺の塔を、豊臣秀吉が伏見城に移築したものを
1600年、徳川家康が三井寺に寄進したものです。

「長日護摩堂」〔重文〕

「唐院潅頂堂(かんじょうどう)」〔重文〕
唐院にはもうひとつ「大師堂」があります。潅頂堂の奥だったので
見逃しましたが、その中には智証大師像〔国宝〕2体と黄不動尊立像〔重文〕
が安置されています。
三井寺には、金色不動明王画像(黄不動尊)が伝えられ、国宝なのですが
秘仏として見ることはできません。(20世紀後半に6回ほど公開されたそうですが)
この黄不動、高野山明王院の「赤不動」、青蓮院の「青不動」と共に
日本三不動の1つに数えられています。

唐院を出て、南に進むと

「村雲橋」
この石造りの橋にも伝説があります。智証大師がこの橋を渡っているとき、
中国の青龍寺が焼けているのを感知、大師が閼伽井の水を撒くと橋の下から
村雲が湧き上がり、中国の方向へ飛んでいったという。
翌年には青竜寺から鎮火のお礼の使者が来たと言うことです。

村雲橋の側にはまだ満開の枝垂れ桜が咲いていました。
城壁のような石積の壁は「勧学院」の塀です。

「勧学院」
中には勧学院客殿〔国宝〕がありますが、残念ながら非公開でした。
この後、札所のある観音堂まで行きますが、とにかく広い・・・

観音堂はまた次回ってことで、タイトルの三井寺の新緑をフォトアルバムで。
例によって右下のアイコンをクリックでフルスクリーン表示になります。

2012.4/28、三井寺にて。
滋賀県の『長等山 園城寺(ながらさん おんじょうじ)』
通称、三井寺(みいでら)に行きました。
天台寺門宗の総本山で、古くから日本四箇大寺*の一つに数えられています。
相当な大寺院、日本史における影響力を考えてもなかなか手強いお寺です。
*日本四箇大寺=東大寺・延暦寺・興福寺・園城寺(三井寺)
三井寺には、国宝10件(64点)・重要文化財42件(720点)の国指定文化財が
その数は実に多く、全国でも屈指のものです。

「大門(仁王門)」〔重文〕
白く塗られていたのかな、かなり老朽化しているようにも見えました。
さて、気合い込んで何枚もシャッターを切りまくったのですが・・・
最初の部分の撮影データを誤って削除してしまい、跡形もありませんw
デジタルの悲しいところですね、消すのは一瞬ですが、
消してしまうと何も残りません。
仁王門を抜けると直ぐに釈迦堂〔重文〕が右手にあり、隣接して弁財天社も。
参道を真っすぐ行くと階段の先に金堂(本堂)が現れます。
手水舎もありました、金堂を撮る前に、ここの見どころでもある鐘楼〔重文〕を。
三井(みい)の晩鐘といわれ、日本三名鐘のひとつと言われています。
「姿(形)の平等院」「音の三井寺(園城寺)」「勢の東大寺」「銘の神護寺」
・・・あれ?四つやん!イイカゲンナ。東大寺と神護寺が替わることがあります。
いっぱい写真に収めました。潜り戸を開けて中まで入って撮りました。
鐘を撞くのは一人一回300円也、鐘の音聞くのも金次第ってことやね・・・
国宝の金堂、現在の建物は豊臣秀吉の北政所によって慶長4年(1599)に
再建された物で桃山時代を代表する名建築とされています。
正面から見ると石灯籠が3基(堂前灯籠)立っています。
屋根は桧皮葺きで、見るからに風格があり優美でもある重厚な建物です。
拝観もでき、内陣は一段低い土間で、天台密教寺院の特徴を表している。
本尊の弥勒仏は天智天皇が信仰されていた霊像で、秘仏とされており、
見ることはできません。
・・・と、ここまでの写真が欠落しました。
この金堂の横には、閼伽井(あかい)屋〔重文〕があり、
おっと、金堂が写ってます。一部、それも裏側ですが…その奥が閼伽井屋です。

左が金堂(本堂)、右が閼伽井屋。
閼伽井とは閼伽(閼伽水)を汲む井戸のことです。ここで汲まれた水は
お供え用の水として使われます。閼伽の語源はサンスクリット語アルギャ。
英語のアクアもこれを語源としているとか・・・

格子越しに中が覗けます。ゴボッゴボッって水が沸く音や、蛙の鳴き声も
聞こえますが、どうやら録音テープを流しているようです。
この霊泉には九頭竜神が棲んでいたとか。堂の正面上方には左甚五郎の作と
伝えられている龍の彫刻があるですが、この龍、夜な夜な琵琶湖に出て
暴れるので目玉に五寸釘が打たれているとのこと。
釘は確認できませんでしたが・・・
なお、この井戸水は天智、天武、持統の三天皇の産湯に使われたと伝えられ
御井(みい)の寺と呼ばれたのが、今の三井寺の名の由来です。
「熊野権現社」
「教待堂」
「霊鐘堂」
さてさて、ここには「弁慶の引摺り鐘」〔重文〕なるものが置かれています。

この梵鐘、奈良時代のもので俵藤太秀郷が三上山の百足退治のお礼に
竜宮から持ち帰ったと伝えられているもので(ま、伝説やから)
何故にこれが「弁慶の引摺り鐘」かと言うと、当時比叡山延暦寺の僧であった
武蔵坊弁慶、園城寺を襲いこの鐘を奪い、比叡山に引摺り上げ撞いてみたところ
”イノー・イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので、弁慶は「そんなに
三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったといいます。
鐘の傷跡はその時のものと言われていますが・・・ま、伝説ってことで。
ただしその当時、比叡山延暦寺との対立抗争が激化し、比叡山の僧兵によって
幾度となくこの三井寺が焼き討ちされたことは史実のようです。

何故か「弁慶の汁鍋」ってのが置かれています。グッズもね・・・(^_^ゞ

「一切経蔵」〔重文〕
写真は堂内にある高麗版一切経を納める回転式の八角輪蔵。

なかなか面白い建物です。この建物は国清寺の経蔵で、慶長七年(1602)に
毛利輝元によって移築されたものだそうです。

お寺などを撮っていると、たまにこんな写り込みのある写真が
突然撮れたりします。訳が分からない不思議な現象・・・大丈夫やろか?
「園城寺唐院四脚門」〔重文〕
ここから唐院と呼ばれるエリアに入って行きます。

「三重塔」〔重文〕
元は大和の比蘇寺の塔を、豊臣秀吉が伏見城に移築したものを
1600年、徳川家康が三井寺に寄進したものです。
「長日護摩堂」〔重文〕

「唐院潅頂堂(かんじょうどう)」〔重文〕
唐院にはもうひとつ「大師堂」があります。潅頂堂の奥だったので
見逃しましたが、その中には智証大師像〔国宝〕2体と黄不動尊立像〔重文〕
が安置されています。
三井寺には、金色不動明王画像(黄不動尊)が伝えられ、国宝なのですが
秘仏として見ることはできません。(20世紀後半に6回ほど公開されたそうですが)
この黄不動、高野山明王院の「赤不動」、青蓮院の「青不動」と共に
日本三不動の1つに数えられています。

唐院を出て、南に進むと

「村雲橋」
この石造りの橋にも伝説があります。智証大師がこの橋を渡っているとき、
中国の青龍寺が焼けているのを感知、大師が閼伽井の水を撒くと橋の下から
村雲が湧き上がり、中国の方向へ飛んでいったという。
翌年には青竜寺から鎮火のお礼の使者が来たと言うことです。

村雲橋の側にはまだ満開の枝垂れ桜が咲いていました。
城壁のような石積の壁は「勧学院」の塀です。

「勧学院」
中には勧学院客殿〔国宝〕がありますが、残念ながら非公開でした。
この後、札所のある観音堂まで行きますが、とにかく広い・・・
観音堂はまた次回ってことで、タイトルの三井寺の新緑をフォトアルバムで。
例によって右下のアイコンをクリックでフルスクリーン表示になります。

2012.4/28、三井寺にて。
カッパのロードスター
春の庭、撮りマクロ。 [in My お庭]

いきなり、苦手な方には申し訳ない。(▼_▼メ)
先日、TAMRON SP AF60mm F/2 Di II LD [IF] MACRO が修理から返って
きたので、庭で試し撮りをしました。
故障は、突然フォーカスが内部で空回り?ギャギャーンという音と共に
AFもMFも利かなくなりました。それほど使ってないのに
メーカー保証期間も終ってます。お先マクロ?
販売店の10年間保証が頼り、取りあえずさっさと修理に出しました。
修理には2週間ほどかかりましたが、修理費は無料、配送料だけで済みました。

カロライナジャスミン〔藤空木(ふじうつぎ)科〕

大甘菜(おおあまな):オーニソガラム〔ユリ科〕

常磐屈曲花(ときわまがりばな):イベリス〔アブラナ科〕
やはり大きな画像で見た方がマクロで撮った効果がある気がします。
できればぜひフルスクリーン表示で!(右下のアイコンをクリック)

雛菊(ひなぎく):デージー〔キク科〕

桜草 (さくらそう)〔サクラソウ科〕

紺屋カミツレ(コウヤカミツレ):ダイヤーズカモミール〔キク科〕

苧環 (おだまき)〔キンポウゲ科〕

これも 苧環 (おだまき)〔キンポウゲ科〕

バージニアストック〔アブラナ科〕
マクロ試し撮りのつもりが、庭の花図鑑になってしまった・・・
とどめは、

射干(しゃが)〔アヤメ科〕の花の上で獲物を捕らえたササグモくん。
カッパのロードスター
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